Nishiki-Hub

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【編集後記】「祖父」と「いとこ」と私

今回は何となく、ですます口調ではなくこの口調で行こうと思う。先日、祖父の一周忌があった。

昨年の11月末、母方の祖父が亡くなった。ただ、祖父の住んでいるのが堺のため、生まれて物心が着いた頃にはもう東淀川に移住していた私には正直、一緒に暮らしてた頃の思い出は少ない。会うのはせいぜい年始とゴールデンウィークと盆の帰省のときと、あとはちょっとした用事だけだった。実際に会ったのは正直、100回もないのだろう。

ただ、祖父はかなり孫が大好きのようだった。私も含め孫が5人いるのだが、そのうち伯父の子 3人が亡くなるまで同じ屋根の下で暮らしていた。もっとも、祖父も事故で亡くなった訳では無いので、最後の方は病院で暮らしていたようだが。

今思い返せば祖父の孫愛は感じられるもので、帰省する時に、向かっている車の中で何度も何度も電話をかけてきた。それほど待ち遠しくて心配だったのだろう。帰る時には「今日は泊まっていくか?」と毎回の如く言っていた。年に数回しか帰省しないのだが、実際に距離は車で1時間半、電車でも2時間あれば通える距離だったので、基本日帰りだった。私の記憶の中では泊まったのは1回しかない。

しかし、私は祖父にひどいことをしてしまった。それがどれほど凶悪だったのか、祖父がどんな想いだったのかは分からない。

祖父はいつも、リビングでソファの同じ場所に座ってテレビを見ている。いつもだ。

私は、いとこに同い年の双子が居る。もちろん私にも若干ではあるが反抗期があり、両親や親戚に反発的な頃があった。その時は無論、祖父や親戚といるよりも双子といる方が居心地がよく、楽しかった。祖父宅に行く時は、挨拶はもちろんするが、すぐに双子の元へ立ち去ってしまっていた。この時は全く悪気はなかった。楽しいものを採る。そういう年頃だったのだ。

祖父の孫愛に気づくのは祖父が無くなったあと、母が思い出を話してくれたことで知った。私はこの話を聞いて、後悔した。祖父がこの時どんな気持ちだったか分からない。ただ、孫が大好きで心配しまくる祖父のことだ。悲しんだに決まっている。

どれだけの時間を、祖父と過ごせたのか。もっと話せばよかった。後悔しても仕方がないが、やはりしてしまう自分がいる。だが、もし祖父に会った時にこれを謝罪しようとは思っていない。代わりに近況報告を嫌というほどしてやるのだ。きっと祖父も喜ぶ。

ただ、私自身も、祖父に複雑な気持ちになったことがある。

祖父は認知症を患っていた。恐らく亡くなる3-4年前くらいからだろうか。一緒にくらしている双子やその兄貴は認識しても、年に数回しか会わないからか私を私と認識してくれなかった。それどころか、娘である母のことを認識するのが危ういこともあった。祖母や双子が私が錦(仮名)であることを伝え、やっと認識して貰えた。

祖父は亡くなる前、数回病院に運ばれており、その度に病院に出向いた。正直、認知症のこともあり、ICU(だったかな)内ではマスクをつけなければならないこと、頻繁に変わるメガネで認識してくれないだろうと思っていた。その時は目を覚ましたあと、再び寝たようで、眠っていた。そのあと、祖父の状態の説明を受け、再び病床に行くと、目を覚ましていた。

その時。何もきっかけがなく、祖父は私の名前を呼んだ。祖母や双子が教えなくとも、私を私と認識したのである。その時は泣かなかった。いや、泣けなかった。なぜかは分からない。ただ、相当嬉しかったのは覚えている。よく考えたらこれまで嬉し泣きというものを実際にしたことがないのでそういうのでは泣けないのかもしれないが。

そして、その時はやってきた。私は学校で、祖父が危篤状態であることを担任から伝えられるとすぐに堺へ向かった。私は泣かないだろうと思っていた。身内の不幸がこれが初めてだったのでかなり複雑な感情を持っていた。

しかし、亡くなった祖父を見ると、涙が止まらなかった。もう、名前は呼んでくれない。私を私と認識することも無い。ただ、最後に私を私だと認識してくれた。

その晩。私や双子が親族系の中では最年少だったということもあり、線香の当番をしていた。もっとも3時頃にはみな寝てしまっていたのだが。その間、不謹慎であるかもしれないが、双子とともにゲームをしていた。

亡くなって、通夜をして葬式をして。その3日間はずっと双子と共にいた。何をするにも。正直、私よりも一緒に暮らしていた双子の方が泣くのかと思ったが、双子の涙は見なかった。

双子と私は、若干顔や身長が似ているので、3つ子と呼ばれて手伝いをするのだが、その間に仲はかなり深まった。それまで以上に。私の性格上、静かにはしていられるが、喋れる相手がいたら喋りたい。そうした中で、双子の存在は大きかった。

今、祖父はこの私を見てどう思っているのだろうか。孫同士仲良くやっていて、嬉しいのだろうか。私がそちら側にいくのはかなり先の話になるのだろうが、気長に待っていて欲しいと思う。


Nishiki-Hubには似合わない、かなりシリアス(?)な内容の記事になりました。ごめんなさい。ただ、この祖父と私というのは、実は本当に話した回数が少なく、私自身も思い出がかなり少ないというのが本音です。祖父の死後、祖父の孫愛について母親から聞いて、後悔しました。しかし、謝罪をする気は一切ありません。謝罪する機会があるなら、その分、話したいことがいっぱいあるんですね。

いとことは今も仲良し。祖父の法事関係でこの1年間、堺へ行くことが頻繁になりましたが、毎度の如く話題が絶えません。


まあ、私自身はそこまでこういうことを話すのが得意じゃないし、錦っぽくないので。。。今回だけ。今回だけはこんな記事にさせてください。多分、数日後には恥ずかしくなって消してます(苦笑)

あと、ですます口調じゃないのは、単純にそっちの方が書きやすいからという理由だけですので。

長文失礼しました。